期待というものに応えていかないと期待はうしなわれる
期待を食べて生きていくなら実現できる夢をみせてそれを叶えることを繰り返してゆかないとかつえる
期待というものに応えていかないと期待はうしなわれる
期待を食べて生きていくなら実現できる夢をみせてそれを叶えることを繰り返してゆかないとかつえる
なにかによる突然の降板や、終了や、キャスト総入れ替えは、会えなくなること自体のダメージが先に見えるのだけど、次第にぽろぽろと溢れてくるのは、ただ、自分の気持ちが尊重されなかったこと、自分の大切にしていたものがないがしろにされたこと、あちらはこちらのことなんかどうでもいいという悲しみだ。
ファンのことを考えてないと共感したり責めたりして理屈で少しまぎらわしたとしても、結局、想いが一緒でなかった悲しみで覆われてしまう。
同じ夢を見せてもらえる時間は限られている。いつ夢の主が夢から醒めてしまうか、あるいは外から斧で殴られるか(酷)わからない。
別々のものであったことに気づかされるときいつもそれを思う。
(怪我とかは仕方がない。どうしようもないもんな。
理由も知らされずに突然喪失するのはきびしい。)
上白根コミュニティハウス。
いやあ、久しぶりすぎるww。2か月空いての見聞。(例によってその間、愛児園等の見聞は有り)
2017/4/11-15 浅草六区 ゆめまち劇場
「ひいろ~HIROになる時?それは今!」
一般4000円(+1Drink)
キャスト一新での再演だそうです。HIROはこのつづりでいいんだって。
主演は「関根裕介(横浜見聞伝スター☆ジャン)」
…というクレジットになってますけど、これで中央寄せすると、真ん中に横浜見聞って文字が来る。へんなのw。
ふつうこれ劇団名とかが来るところですよねえ。なんだかそういう力学なんですね。
で、見てきましたつれづれを、横浜見聞(というかセキネ)目線にて。
2回目以降見てなんか追加することがあったら追加します。
ネタバレありっちゃーあり。
ややどうでもいいことから書いてゆくので、これから見る人はその間に引き返してくださーい。
(※4/16全日程分追記しました。4/17写真追加。更新失敗して一部記述が消えちゃったかも。元のを覚えてない。)
4/11 初日
雨。終わって劇場出たら、晴れ。あはは。出来すぎてる。
席は下手、平場の中ほどで、壁を背に。
この位置だと下手の袖に死角があります。
難しいんだよな、この劇場。何度か縁がありましたが、ぜったいここが当たりって席はないの。。
客入れBGMゴジラ、ずーっとゴジラww。
幕間(まくあい)は昭和ライダー。同席した人がストロンガーかからないかなと待つも、ライダーアクションとライダーマンの歌までかけて1号からきっちり順番を追うラインナップなため、10 分では行き着かない。7番目だからな。
幕間にとあるキャストさんが席に来てくれました。そういうシステムなん?
ここから本編。
まず文句。
最初の歌舞伎風の殺陣で、手がなんか違うーと思ってしまって苛立つ。受け手がかなあ。
(生意気言うなって?かぶき見てる歴だけは長い。きになる。へんなんや。)
マイク、終始不調。入れるのか入れないのかはっきりせい。なくても良さそうな人もいるが、ないとダメそうな人もいる。
あと、休憩入るアナウンスはあったほうがよくない?
以上、文句。
主役。赤也。関根さん。さすが酒飲みが似合う(先入観)。
思ったよりオッサンに作ってきましたね。濃い。
赤也の化粧が汗でとれてきてだんだん素が見えてくると、若返ってきてしまう。
そのほうがかっこいいからいいか。
最初から最後まで忙しいですね。関根さんの何でもやる感っていうのはいつもなんだけど、なんでもやるの中身が相当量、裏なのでw。
今回は表でど真ん中で何でもやるだからね。見える。よくはたらくなあって言ってもらえるような働きをしてると思います。
いつもなんでもやってるのだって、見えさえしたらどんなにかほめてもらえるだろうになあって思う。
そういうことの中身も役に入っている。
輪組とか、腰がいたいとか
年下の子たちをどう扱うかとか。
普段ご当地ヒーロー(と準備と片付け)を眺めながらよく見ているエッセンスです。
ヒーローってどんなものか、親ってどんなものか、仲間ってどんなものか。
表に見せるもの、見せないもの。伝えるとは。
赤也は、実体験と、日頃ヒーローとしての役作り中に見つけたものが入り混じって、途中まで既にあるものなんじゃないかなあと思いますね。まー、よくこの役来たわ。
クロンジョ様は応援したくなる。
タイムボカンを祖としつつも絵柄的にはナディアの三人組を思い出します。しかし手下の2人はネーミングとコンビネーションがwwそっちかよ。
マスター。狂言回し的存在。説得力があるようなないような。
あおい(字が分からない。あとで確認する→「蒼」であった。)さんと長官にもう少しツヤがでるといいな。まゆちゃんかわゆし。
中盤、赤也とあおいが名実ともにコンビになったところにもうちょっと完成のハッタリがあってもいいかなと思う。
もっとヤッター!っていうカタルシスがほしい。
軽みのあるシーンでは間(ま)を誰が支配するかでテンポに差が出る感。
シーンの出来上がり図は客にもわかるんですよ。こういう絵に、こういう会話にしたいんだろうなあって。
もっといけるんではないだろうか。
後半は噛み合ってきて面白いです。
ギャグとか歌とかさまざまのモチーフはオヤジ向けというか、70年代生まれくらいかなあ。客層よりも上になるんじゃないですかね。紅蓮の必殺技とか何のことかわかります?
前に、某劇団でキン肉マンとかドラゴンボールとかわかんないと全然わかんないみたいなのがあって、結構置いてかれた経験があるんですけど、どうなんですかね。置いていかれませんか?私は今回のは断然わかるからいいんだけどさあ。
筋と人物の相関は上手に作ってあるなと思います。だいたい全部の人の背景がわかるし。人数と筋のバランスがちょうどいい。
赤対青の図式のなかで、パートナーの蒼がなぜ青なのか、は、序盤から何かあると思わせるものがある。
紫…はよくよく考えると、ああ、そうかと思いますね。
なんか、やっぱ、もう少しこっちが厚くなるといいかな。
ラストはね、そうじゃないとマズーですよね。まあそうなるよ。
アクション。巧緻については私はなんともいえん。
赤也はヒーローらしいカタチ、太刀裁き。
あと、常連の役者さんが劇場をよく知ってるんだと思います。うまく使ってる。群青さんの可動範囲の広さ。
同席のひとはアクション少ないって言ってましたね。私はそうでもないかなと思ったけど。
私どもはそういう畑なので、ダンスよりアクションを求めてしまう。
しかし、アクションをいれなきゃいけないから入れたアクション、だとつまんないですからね。
必然性のあるもの。たとえば連戦連勝の赤青コンビのイメージアクションとかあってもいいな。
マイク以外は思ったより初日感なく、出来上がっていた印象を受けました。
一字一句間違えずにという芝居でもないので伝わればいいんじゃないだろうか。
このさき、"がんばってんなー、さすがやな"、以上の感想をどれだけ持てるかが、お芝居としての面白さの部分にかかってくると思います。まだ見るよ。
**
チェキ1000円、全員チェキ2000円でした。終演後、客だしが終わってから撮影。時間的余裕要です。
考えてみると芝居4000円で見られるのにチェキ1000円てすごくない?毎度ご祝儀と思って撮るわけですが。こういうモノの値段はよく分かんねえな。
***
4/13 2日目。追記。
12日に1日休演日(ほかの演目の日)をはさみまして2日目。晴れですね。
最初の殺陣風タップ的なやつ、変わった?。
マイクとアナウンスも改善されました。
主役、噛み倒したと言うてましたが、芝居が繋がってればいいと思います。が、カーテンコールはほんとにかんでたな。(通常運転。)
席は、上手中程。中味がわかったので全体を見ることができるようになりました。あおいちゃんのダンスが挿入される意味とか、見えてきますね。
あと、関根さんは絡みがうまいな。(こんな褒め方どうかと思うけど。)
初日も写真(チェキ)もらわずに帰ろうとして、今日も写真もらわずに帰ろうとしました
教えてくれた方ありがとう。
とったことで完全に終了した気分なんやな。
***
4/14 3日め。
席は14時上手花横。19時上手花道突端。
関根さんは14時回の方がすっきりした顔をしてました。出来もいまのとこベスト。ただし、ほぼマナブ☆ジャン。初日はもっとおっさんらしさを出してましたが。化粧も変えましたね。
スタージャンの劇中マナブくんは、そんなに一生懸命ヒーローをやっていない(いなかった)のですが、それを作る途中の本人の一本気さや、何年も変身して(※スーパーや幼稚園等でやるスタージャンのスーツアクターも関根さんがやるので)こどもたちと触れ合ってきて受け取ったものがみんなオモテに出ると赤也みたいになるんだろう。
いつも見聞(というのはスタージャンのショーのことです)に来てる人がちらちらと芝居に来るので、話してるときに、でも再演なんだよ、と言うと、他の人がやるのが想像できないって話になる。だって関根さんじゃんw。これは、普段☆に携わる関根さんを見てる人特有の見方かもしれませんね。
一方、ロビーである俳優さんと話していて、"関根さんは普段もあんなですか?"と他の人が言ったら、"楽屋では全然違いますよ。落差が激しいですね。"と言われる。そうやな。それもわかる。ひとはオモテだけではできてない。
演出など。
昼回で、必殺技に紙吹雪(紙じゃないけど)追加。
夜回で、バーに赤也のサイン追加。うん。サインはあるわw。ヒーローって、サインするんだよ。あの文化面白いよね。イミわかんないもん。貰うけど。
ケツ子の部屋、前回ハッピーターン、昼サラミ、夜うまい棒。小ネタご苦労である。
長官の松川さんがエンジン掛かってきた感じです。
**
4/15 千穐楽 追記。
土曜日につき、1時間はやめ。13時下手マット横、18時上手花道先。一度くらい上から…とも思ったのですが、脚がつかないし、もう連日の疲れで、あの椅子では2時間もたない…と思って、結局平場にしました。
twitterから
「ひいろ。
千穐楽。楽しかったよ。
作りごととわかった作りごとをそれとして楽しめる人のための作品でありながら、
その中に沢山の"実の世界"のことを込めたのがわかる。自分がひとつでもふたつでも多く汲み取れていればよいなと思います。
お疲れさまでした。」
横浜の緑のヒーローを経た出力の部分は、おそらく、普通に見れば絵空事で概念的なお定まりの話なのだろうと思います。その内にあるものをアンテナに引っ掛けることが、うちら、横浜の"妖精さん"が客席にいるひとつの意味だろう。だから、他の人たちの感想とは全然違うだろう、と思う。
音楽や演出で仕掛けられたもののどれが響くかは素地によって全然違う。また、初回ではわからないものもある。芝居の前半はその傾向が強いのではないでしょうか。
隣りのテーブルのおじさまが幕間に「あんまりよくないな。面白かった?敵もあんまり怖くないし。」って連れの人に聞いてました。遅れてきてつまんねーこと言いやがると思いましたが、しょうがないっちゃーしょうがない。(まあ待てよ、コワいのはこれから出るからさあ。)それが帰るときには「近くで見るから面白いなー」ってお帰りになりました。誰にでもわかるのはそっちなんだよね。後半の面白さって、何を見てきたかとか関係ないもん。
舞台としてはできあがってきたのでしょう。楽のお遊びも少々あり。
あ、ケツ子さんのアタマからは今日はベビースターとヤクルトが支給されてたでござる。そのあとのフレッシュな2人のアレコレも毎回楽しみだった。何人か着替えがえらい大変だった方お疲れ様。
(4/17 add. 思い出したんやけどね、最後の回?赤也と蒼のトレーニング後の雑談で、初めて、蒼が赤也の話の内容に興味を示してました。そのほうがいいね。人間に惹かれてくる描写。萌えるよね。)
ラストの群青と赤也の立ち回りは、最終回が、セーブせずの大振りで見応えがありました。許されるなら見得も撮りたかった。
正直あちらがよければこちらをしくじるみたいなもんで、全体100点の回はなかったと思うんですけどね、
客をあっためられたかという意味では昼回がよかったし、
赤也が「勝ったぞ!」と言ってくれたエンディングの晴れやかさでは夜回。いい最終回だったんじゃないでしょうか。
これ、円盤化は版権的に微妙な気がするので、みんなで見られる、わいわい可能上映会とかどうですかね。もう一度見るなら話しながら思いを共有して見たいなあ。
ともあれお疲れ様。NEXT STAGE!
親に、自分が幸せな様子を見せると、いつもなじられる、というようなことがもしあったなら、
幸せであると表明することは罪であると刷り込まれてしまうかもしれない。
そして、他人がわだかまりなく、幸せであると表明することは、より不幸な自分にそれを見せることであり、配慮が足りない
とか思うのかもしれない。
幸せなことを幸せと思えないし、表にも出せないし、他人にも同じことを強いる。
それでは素直に幸せを喜べる人と付き合えないじゃないか。
そのまま子を育てれば自分のこどもにも同じような植え付けをしてしまうじゃないか。呪いの再生産だ。
(太陽の蓋 佐藤太監督作品 2017.3.15 シネマノヴェチェントにて鑑賞)
だいぶネタバレです。見たくない方は引き返してくださいね。
あと、原発の事故と政治と情報の話です。そういう題材だからしかたないです。
そのへんが好みでない方も引き返してください。
東京の記者クラブにいる政治部の記者の話です。あまり感傷的ではなく淡々と進む。鬱展開ではないのでその辺は安心して見ていいと思います。
お話は、今より少し前、震災より少しあとから始まる。最初の方で、お前のところでは政治部の書く原発の記事を載せてくれるのか?という仲間からの揶揄があります。
話は当時に戻ります。通常、政府の会見場に入るのは政治部の人です。しかし原子力を担当するのは科学部か、社会部かその辺。そういうことは語られませんが、畑が違うことを示唆しています。
政治部から見えるのは政治家。その政治家がなにも見えていない。情報はどこで止まったのか。情報があればなんとかできたのか。
新聞から伝えられること、テレビから伝えられることが私たちの知る術であり、その記事を作っていた人のいらだちは、そのまま当時の私たちのいらだちでもある。
夫と連絡が取れないままの妻、現場近くの家族。みな、起こっていることがわからなかった。
そしてこの事故の時系列にはもう一つの軸がある。原発自体で何が起こっていたか、です。いちエフで働いていた青年と、(実際専門記者でもそこまでわかっていた人は多くないと思うのですが)起こっていることを解説し次を予言できる有識者として新聞社を去った一人のベテランを配して、筋は進んでいきます。
あのころのとおりに。
でね、ネタバレどころの話じゃないの。映画の中の一喜一憂の後に何が来るか知っている。次に何号機の何が来るかわかる。
出てくる人も知っている。名前の隠されている人が本当は誰であるか。忠臣蔵並みに知ってる。正直こんなことは初めてです。
(さすがにみんなが知ってる人は実名なのですが、そうでもない(?)人とかは、微妙に仮名なの。これ、フィクションだから。フィクション。)
官房長官の会見
電源喪失、電源車はプラグが合わない
ベントはできない
首相が乗り込んでいく
弁を手であけなければならない
爆発
避難
停電
ミリシーベルト
コップの水に挿されたスプーンはなにを意味するのか…
未来から来た人間が歴史で何が起こったか知っているというのはこういう感じだろうかと思いました。
次に何が来るか知っていても、時が進むままに受け入れるしかない。
地下で起こっていたことを見るのはさすがに初めてです。
Nスペなどでも再現されている部分は有りましたが、どっちかというと現場の視点でしたから、初動の対策室の側の目でしっかり表現したのを見るのは初めて。
災害対策室のリアルさで直近で比べられるものとして、シンゴジうんぬんという話があるのだけど、
実際には、あの地震のときはあんなふうに有識者を生かせなかったし、次に何があるか予想しながら対策したりできなかったんだよって、シンゴジがうんとかっこよく見える。
電源車だってバッテリーだって役立てられなかったんだ。現場で頑張ってくれた人の尽力と運で生き延びたようなものなんだ。
時間が少し戻りますが、私がこの映画を見た日は3.11の特集で他の映画もかかっていました。
映画館で時間を待っていたら、ひとつ前の映画を見た人が映写室から出てきて、大きな独り言を言ってました。映画館の番をしていた青年に聞かせるようにね。
この映画(ひとつ前の映画です)は、戦後の教育の限界を示しているのではないか
現実から逃げているだけだ。逃げるためにこどもを作って。
マスクをしたところで放射線を防げるわけがないじゃないか
原理もわからずに騒いで
ちゃんとした教育を受けてこなかったんじゃないのか。
あのときはみんなそうだったのかねえ
って。
私、その映画見てないから具体的なことはわからないけどさ、
あのときは…そうだったじゃないですか。おじさんの周りでは違ったの?
東京で線量があがった時、
専門知識を持ち、職務を全うしなければいけない方が、両親に最後まで東京から離れない旨をメールしたとききました。
ある種の覚悟、ある種の緊迫感、ある種の恐怖、そういうものは確かにあったと思う。
だって、その時は本当に、どこまで行くかわからない事態だったのだもの。
なんとか自分でできることをと情報を探し、マスクしたり、飲み水を確保したりしたのですよ。その時は。
多くの人は、やがて「正しくこわがる」といった姿勢に移ったり、忘れてしまったりしたのだけど、
その恐怖と認識が、しばらくそのままになってしまった人たちが一定数いて、
それは、前に見た「希望の国」でも描かれていたし、
みてないんで何とも言えないけども、そのおじさんの言いっぷりからして、一個前の映画もそうだったのかな。
あのころはそうだった。
いまは、状況は変わっているのですが、変わらない人がいまだにいる。
そのことが、あの土地を苦しめています。
一方でまだ終わっていないことがある。
この映画は雨で始まる。そしてラスト近くでも、ザーザーと雨は降り注いでいる。
この国の人は、天を突いた煙の後の雨に特別の意味があるのを知っています。
しかしそれ以外に、私は、二号機の格納容器に初めて動画のカメラが入った時の映像を思いました。
放射線に起因するノイズの中、ザーザーと雨のように降り注ぐ水を。
どこにあるのかわからない溶け落ちたものに、ずっと水を絶やさず冷やし続けなければいけない。
そして、そこを通り抜けた水を回収し、放射性物質を吸着したのち、ため続けることができなくなれば放出する。
そういうことをずっとずっと続ける。
コントロールされている。そうかもしれない。しかし、コントロールできなくなれば起こることがある。
それは、いまや「想定内」のこととなった。でも、それを思い出さずに生きているのがいまの私たちだ。
せめてこうしてなぞること。
それが「あの時テレビを見ていた人」のひとりとして、私が為すこと。
追伸:音楽 ミッキー吉野
で、選曲 MOKU 岡出 莉奈
オッオゥ。思いがけないところで。
深夜に、やれDVDの特典ガー、ショーの内容ガー、マーケティングがー、ってな話をしていて。
しかし、ゆめを本当にみてくれるのは他人で、私達は横で見せてもらってるだけなのです。
見たいゆめのつづきを耳もとで囁いてみても、
ゆめは究極、その人のものだからね。どっちに向かうのか、いかんともしがたい。
お客さん(観客と言う意味でも、当事者でないという意味でも)てそういうものだね。