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kikuyamaru's blog

こちらにはノンジャンルの長文などを書いています。

たとえ同じ蜃気楼を見たとしても

今日見た劇は、物語のはなし。
明日も公演があるので、なかみは差し控えつつ。
(そして何年後かに読んで何の芝居だったんだっけって思うことになる。多分。)


誰かの書いた世界のゆめをみるのは、私達が実はいつもやっていることで
科学や社会の話を聞いているときですらそうだ。
そんなことがあったなら、本当にできるなら、いや、できるんじゃないかな、と思うから科学は進むんだと思う。

一緒にゆめをみているときはよい。
ゆめをみている他人がふと我に返り、夢だったと気づくのを見たとき、
同じゆめを見ていた私は、
あれは私のものではなかったと知る。
夢の主が夢からさめると、そのゆめは、ふつっと切れて、見続けることはできなくなる。
その疎外感。私はその気持ちをどうしたらよいのだろう。

 

別の枠組みで、合理的に説明されたとき、ファンタジーは翼を失う。
それでも、科学において、素晴らしい発見が次の夢を生むように、次のゆめを紡ぐための何かが残っていると、物語は続く。

 

今日の芝居はその場で完結した気分だった。種明かしの後にファンタジーが残っていたはずなのだが、私が整理できなくて時間切れになった。

目が覚める前にこれは夢だと気づいたんだけど、夢の中の自分をコントロールする前に本当に目が覚めてしまったので見た夢を忘れた感じ。

ムリに思い出してあれこれ考えるより、ああ、これは以前に見た夢だった、と、ふいに思い出すようなことがあるまで、沈めておこうと思う。

 

とても花粉日和。クリーニング屋の角に、早い桜が咲いていました。