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kikuyamaru's blog

こちらにはノンジャンルの長文などを書いています。

「記者たちの眼差し」と「再生への道」

記者という職業に全く関心がなかった私がその存在を意識するようになったのは、3.11の震災でした。

被災地に入った記者からのリポートは、東京と現地との温度差をあらわにします。情報がない中、自らの信条に従って発言をする記者。
原発の事故では、テレビ局や新聞社やフリーの記者たちが、記者会見の場に集まり、なすすべなく当局の情報を伝言ゲームしていたのが、やがて、いま何をすべきかを逆に提言するようになっていきました。
そういったものがテレビとインターネットを通じてダダ漏れ(失礼)で流れてきたのが2年前でした。
ニュースは誰かが作って伝えているのだ、ということを意識しました。
 

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この3月に横浜にある放送ライブラリーで、震災(神戸含む)に関するいくつかのドキュメンタリーの上映がありました。
そのなかに、何度か再放送でチャンスがありながら、なぜか気持ちが前に進まず見ていないものがありました。今回が「時の合」なのだと思い、見てきました。

「記者たちの眼差し」は、JNNの記者たちによるオムニバスのドキュメンタリーです。
(JNNはいわゆるテレビ局の「系列」で、キー局はTBSです。
 組織が一体であるNHKとは違い、TBSの下に地方支局があるというような関係ではありません。それぞれの加盟局が対等の位置にいるというポリシーです。)
 
JNNの加盟局の記者やカメラマンたちは、東日本大震災の発災後間もない時期に全国から現地に集められ(最初の1ヶ月で1000名体制だそうです)、災害を伝えて来ました。
記者は津波の来襲の様子や、その後の様子を伝えています。
記録し伝える使命と、目の前にある生と死や、理不尽に対してなにもできないという罪悪感。
伝えなかった映像に対する葛藤。伝えた内容と現実とのギャップに対するしこり。
それが発災後1ヶ月、2ヶ月を経た後でひとりひとりから吐露されるのがこのドキュメンタリーです。
報道の裏に隠した「私」がそこにあります。
 
さて、放送ライブラリーと同じ建物には、新聞博物館があります。建物に入ると、巨大な輪転機が出迎えてくれます。

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石造りの建物に、回らない超巨大で無機質な輪転機、閑散としている空間。私は実はリニューアルして以来ずっとこの空間が好きではありません。なんかフレンドリーじゃないと思う。それも手伝って、新聞博物館には入ったことがありませんでした。
普段は入館料がありますが、3/16日はみなとみらい線から副都心線への乗り入れに伴い日本大通り直結の新聞博物館が無料。理屈はよくわからないが、タダだからいいことにして、初めて入りました。
ここに、企画展「再生への道」として岩手日報河北新報福島民報福島民友新聞の各地方紙の、3.11以降の紙面が展示されていました。(展示は2013/6/16まで)
地震で設備が使えなくなった新聞社では、他県の地方紙の協力を経て翌日の新聞を印刷・発行したそうです。
電灯がつかないため、ガラスのランプに火をともし、デスクに集まって紙面を作る様子がパネル展示されていました。
腕章をして被災地を取材する記者もいました。そこにもニュースを作る人々がいました。
福島の新聞は12日の段階で"炉心溶融か"と伝えていました。それは結果的に当たっていたと言えます。
黒い津波をとらえた写真。生活の情報や、何面にも及ぶおくやみの情報。復興計画や、感謝の広告、初動に対する振り返り検証、1年、2年の報道。
局面局面をとどめる新聞は、やはり全国紙とは異なります。「忘れない」ということが言われますが、その地方の新聞を読むことは「共に歩む」ことに繋がるという気がします。
 
1年後、2年後、に私は海辺の町を訪れましたが、地面は乾き、家や陸に流れてきた船は、もうほとんど片付けられています。
塩抜きのために、農地の表土が掘り返されていました。しかし、なにも建ってはいません。
今回、改めて津波直後の、水浸しになり泥にまみれ粉砕された家の残骸が映る絵を見て、今のまっさらの土地との差と、まっさらのまま、また1年がたってしまったこととを思い、この歩みの遅さはなぜだろう、と考えたりしています。