kikuyamaru's blog

こちらにはノンジャンルの長文などを書いています。

鉄道の記憶を歩いて横濱港へ向かう(1)

5/25 NHKカルチャーの「ヨコハマ港の近代土木・鉄道遺産を訪ねる」という単発講座に行ってきました。

ほんとは、ハイクで一人オフにリアルタイムで上げたかったんですが、ペースが速くてムリだった。

 

午前中はランドマークタワーで座学(これも面白かったのですが私では説明不可能なので省略)、午後は実際に鉄道遺構を見て歩くワークでした。

 

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ランドマークから見たところ。白い鉄橋みたいなもののある道が、元の線路で、今は「汽車道」(きしゃみち)といって人が通れる道になっています。

写真右から、1号橋梁、2号橋梁、見えにくいけど3号橋梁とあり、ずっと向こうに4号があります。

鉄橋のある線路を写真右手の欄外のほうへたどると至・桜木町(ほぼ、初代横濱駅)、

写真奥の左手の門のような建物の向こうに赤レンガ倉庫、

門のような建物の右奥に「象の鼻」など港があり、万国橋(ワールドポーターズ前)の辺りから鉄道は二手に分かれていたとのこと。

目を手前に戻して、写真奥中程やや右の空き地と駐車場みたいなところに立つレンガの古い建物が、生糸検査場の遺構。
3号は元々ここにかかっていたそうです。

 

万国橋のところにあった地図で今日のルートを示します。生ってかいてあるのは生糸検査場の見える方向。(実際はもうちょっと右だな。)

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歩く前の集合場所は、桜木町駅、コインロッカーの所のモレルさん前。この方は30歳でなくなっています。えっ、30歳?。

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初代横濱駅

まず初代横濱駅の痕跡……というよりないものを記憶として残したいという思いが中途半端に残されている例を見に行きます。
桜木町のバーミヤンの辺りです。

鉄道はご存じの通り東京(新橋、品川方面)から横濱へ至る。
その横濱駅は、最初は港のためにここに作ったけど、ここから東海道へ延伸しようとすると、頑固な山があるのね。そういうところを選んで港を作ってるんだから仕方ありませんが、鉄道には都合が悪くて、いっぺんスイッチバックしなきゃいけないんだそうです。それで、便利な方へ便利な方へと、2代目は高島町辺りに、そしてその後、今の場所に写ったそうです。

 

歩道の地面に10cmくらいのこういうのがあんねん。

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「鉄道発祥の地記念碑 原標点 平成元年1月」とある…。

「碑」?なんでここが原標点なのかは不明らしいです。

 

あと、地下への入り口の所に「開業当時の横浜駅長室跡」ってプレートがあるの。

変電盤のボックスの下あたりのところだけど、まあ、わかりませんよ。これは。

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それだけで他になんの説明もないの。

 

創業当時の横濱駅に関する記念碑です。置いてかれそうになったのでピン甘ごめんなさい。
バーミヤンのところから歩道橋の方に行って、エレベーターの脇のあたりにあります。

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周りについてる棒はレール。今のレールは底が平たいけど、このレールは両方が丸い双頭レールなんですと。

記念碑の側面には明治5年当時の時刻表や、旅客への但し書きなど書いてがあります。
品川横濱間35分である。早いね。

 

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↑横須賀の方へ線路を引く計画があったんだぜー。このカーブは鉄っぽいんだぜー。っていう説明。

 

桜木町の歩道橋から高島町方面を見る。鉄塔の左にあるレンガ色のマンションの所に2代目横濱駅の遺構がある。今日は省略。

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汽車道

で、汽車道の方に歩いて行きます。

日本丸交差点から、汽車道を見たところ。この橋が1号橋梁。アメリカ製。2号も同じ橋です。
また、同じ橋が現在も上淀川にかかっているそうです。

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レプリカだそうですが、「AMERICAN BRIDGE COMPANY OF NEW YORK U.S.A 1907」の銘板が付いています。そして写真奥に、生糸検査場の遺構。

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ここから反対岸、コスモワールドの方を見ると、川沿いにおいてある、さびたでかい重量挙げのおもりみたいな形のもの、わかります?

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大桟橋を改修したときに出てきた、100年間桟橋を支えてきた杭なんですと。何千本も出てきたそうです。

いくつか保存してあって、大桟橋の方でも見られます。

大桟橋にあるのはこんなのです。先端の円盤みたいに見えるのは実はねじになっています。これを「人力で」埋めたんですと。

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人力でって、どうやって??。

 

話を戻して。汽車道を歩いて3つめの橋が3号橋梁で、これは単線の幅しかない、イギリス製。

元は夕張から持ってきて、生糸検査場のところに架けて、それをまたここに持ってきたそうです。

 

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イギリス製は、ピンで留まってるんですって。このピンをはずすとばらける。
ボルト、ナットみたいな形のところ、わかりますか。アメリカ製の1号の写真にはこういうのないですね。
 「トラスの基本に忠実」と先生が仰ってましたが、私にはなんのことやーら。

 

明治の初めの日本ではまだこのような橋が作れなかったので輸入していますが。

この先で赤煉瓦から税関に向かう途中にある4号橋梁は日本製で「大正元年八月 浦賀舩渠株式會社(※舩は船の異体字)」のプレートが付いています。

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白い橋、皆同じようにみえていましたが、由緒が違うんだねえ。

 では見えない線路をたどって赤煉瓦に向かいます。が、ねむくなったから to be continued ...