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kikuyamaru's blog

こちらにはノンジャンルの長文などを書いています。

ご当地ヒーローというものに、風をもらった話

風邪ひいた話じゃありませんよ。(汗

自分がはてなハイクに書いている絵を見るとよくわかるのですけど、震災直後は、まだ生気のありそうなものをかいているのですが、だんだんと光のない絵になっていきます。

その間、原発事故の記者会見の配信を見たりして、
我々のところに情報が流れてくる仕組みを知って、
SNSで記者の方とやりとりしたりして、
なにがあったのか、なにがわからないのか
この国の行政の仕組みがどんだけブツブツと切れているのか、
私たちはどうやったらものごとを動かせるのか。
そういう、今まで考えてこなかったことを本気で考えました。

でも、毎日毎日、ニュースを全部見ていないと状況がわからなくなっちゃうから、わからない政治のニュースも我慢して見て、調べて、睡眠を削って
その結果、現実世界以外の「お話」に割く余裕が全くなくなっていました。

ある日、いつものごとく記者会見のタイムシフトを見るために開いたニコ生でやっていたのが、琉神マブヤー(てぃーち)の全話一挙放送でした。1話1話が短いので、結局通しで全部見ちゃった。
見終わったときに、ふっと、心が浮上していたというのでしょうか。
多分、浮き上がりつつあったものを、とんと押してくれて、気流をくれたのがマブヤーだった。
憑きものが落ちたというのですかね。(別のものが憑いたともいう)。

その続きのような形でハルサーエイカーという作品に出会って。
これはまた少し趣の違っていて、長らく忘れていた、続きものの物語や、人物の心を追いかけることを思い出させてくれました。
もうそろそろ、日々起こる出来事を記事でなぞるだけでなく、他者の物語の世界に戻ってきてごらんと言ってくれたのがハルサーエイカーです。
そして、ハルサーエイカーの役者さんや作り手からの配信である「ふとぅふとぅエイカー」は、今まで私が見てきた作品のような、他所にできあがった虚構の世界、もしくは完全に自分の中に取り入れて改変自由な妄想ではなく、
明確に作り手がいて、そこから届けられている物語と現実がゆるく結び付く不思議な面白がり方を教えてくれました。

作り手がいるということへの意識は、この2年、記者とニュースを見ることで耕されたものだと思います。
その作り手なるものは、遠くにいるぼんやりしたイメージの「名前」ではなくて、同じときを共有する、くっきりと実在するヒトである…という意識です。

ハルサーエイカーと同じころに知ったのが、スター☆ジャンです。

マブヤーにしろ、ハルサーエイカーにしろ、沖縄の話です。
沖縄の人いいなあ、うらやましいなー、てなもんです。

私は日本の中のどこのネイティブでもないと思っています。
このことは前にも書いたかもしれません。
ほかのご当地ヒーローにしてもそうなのですが、どのヒーローを見ていても、いつも他所者の気分なのです。
ヨコハマも例外ではない。私は、大人になってから住んでいますが、自分でヨコハマの人だと思ってないですから。
新興住宅地だから、ここを切り取ってそのまま別の県に持ってってすとんと落としても成立するんじゃないかと思うような、そういう土地柄だから。なんとも地元意識が湧きません。

ですが、曲がりなりにもゆかりの土地であるヨコハマのヒーロー、スタージャンにも一応注目はしておきたい、くらいの気分でウォッチをしておりました。
けど、スタージャンさんは、お前の足元にある地面と、頭の上の空をちゃんとごらん、って言ってくれた気がします。
彼らと同じ地面に私は立つことができる。

アタマのなかの現実から、手でさわれる現実感へ、途中にファンタジーを経てたどりついたって話です。

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ここまで書いてから読んだ、トミノさんが「あまちゃん」について語ったという文字起こしに、あああ、こういうこと、こういうことさー、わかるさー、って思いました。
えーと。こういうのはブクマにあるんじゃないかと思うんだけど…あったあった。


いま、「ご当地ヒーロー」というくくりでいろいろと立体的・交差的な動きが出始めているんですが、
ただ観光地で手を振っているぬいぐるみではなく、
現実の土地に立っていて、かつ、虚構であるところの「他者の物語」も作っていくという、なにかそういった動きがキテルのかもしれません。


養老孟司さんが言った「脳化」という言葉があります。身体を忘れて、脳が作る世界で生きるというようなことです。
地球を覆い尽くす電脳ネットワークは、無数の脳のフラクタルであり、それはリアルな大地や、海や、人間の身体とは関係ないかのように、上空にふわふわと浮かんでおるような気がします。
「失われた大地との絆」(ナウシカの)とは、本来は土から生み出さず、土を穢して生きること、を言ったのだろうなと思いますが、これほど皆が携帯端末で、目の前にいない人間と、時間・空間の制約を超えて、脳だけでコミュニケーションする今を思うと、違う意味で大地との絆は失われておるなと思う。
しかし、"脳"の作った世界と、リアルな大地との絆を再び結ぶ可能性を、ご当地なんとかっていうのは持っているのかもな、と思ったりもします。