ゆめまち劇場 2018/4/25-4/30
ネタバレあります。
(5/1 追記
上演が終わりましたので、あらましを書いておきます。
山本タクさんとゆめまち劇場とのコラボ。作品自体は再演になるそうですが、ゆめまちでは初めて。
病気の少年に、児童作家志望の姉が読み聞かせをする世界と、病院の現実世界。
やがて、それは渾然となってゆく。
また、上演中書けなかった中身に関して、本エントリ末尾に書いておきます。
タイトル表記ですが、劇場側WEBなどでは「僕は眠ることを知らない」。
「事」はチラシや、劇中で表示されるタイトルに従いました。)
1日目
主演の方が素晴らしいですね。こどもらしいところを二時間キープって大変だよ。
だんだん世界が見えてくる系統の作品。 私は割とこういう、おもてうら、おもてうらする奴はよく見るので始めから”読みモード”に入って見てたんですけど、”お察し”程度でいけるところと、読みにいかないと見えないところがあるかもね。
関根さんご出演。普通に人間の役がきたー。(こら)
善き人なのであろうと思う。健全なこころの素地というのは、ある程度育ちから得られるのかもしれないと思ってしまう。
あ、歌姫の役にもう少し説得力ほしい。
無茶振りパートは要らない。個人的には。
あと、めちゃイケわかりません。
140分くらいあるのですが、もっと短くできそう。
2日目
眠っている間もうひとつの世界に現れるタイヨーくん。
関根さんの役(とおやまたろう)はこの最後の最後になるまで裏のお話(というか夢)の中に登場しないんです。
運命を切り開く剣を与える男(とかいうとカッコいい)
出てこないというのは、なぎさが出さなかったということであろうけど、なぜだろうね。
序幕には大勢の中にいた太郎が、
終幕にはお母さんと向き合う位置に立つ。エジプトの壁画のように横を向いて。
他とは違う性格の役。
その対照は
母性と父性
過去と未来
他者による護りと自己で回す運命の力
タイヨーくんは死への恐怖や、何重もの護りの中に囲い込まれ、ついには死の影に持っていかれてしまう
太郎くんは、いつ帰って来るのかと問う。
それは考えてみれば死者への対話だ。
だが太陽王は永遠に夢見ているのだ。
表と裏の人物のリンクは2回見てだいたい把握。
受付の人は、1回目見たときは分からなかった。
3日目
ここから1日2回公演。
結構演出が変わっていたようです。
スクリーンにまるばつ出してたりしたけど、よくわからんな。
何のことを言っているのかわかりづらいセリフを言い換えていたのは良かった
まさかファニーフェイスのなんとか、が、和装のなんとかになるとは思いませんでしたけど、ラムとセスのことを言ってるんだっていうのはよくわかるようになった。
あと、手番を短くしたり。
カラベと、なぎさと嘘アイドル2人組の関係はよくわかんないです。
遠山君を鴨にできれば利益を山分け的なことを持ちかけてるのかなと思いますが、
それだけなのか、もっと前からなにかあるのか。
あと、雨のシーンで、なぎさは遠山君になにを伝えようとしたんだろうね。
打ち明け話をしようとして、いつもならそこで茶々を入れてくるであろう声が念頭に上ったということなんだろうか。
ところでね、連日感じのよくないお客さんがいて不愉快なので避けたいんだけど、視界に入ってしまう。
あの劇場は他のお客様が目に入るんです。
毎日通うのに、寝てるし、途中でスマホ。始まる前も終わった後も声高に文句を言ってる。終幕に拍手すらしない。全く不愉快です。
ほかのことはともかく、誘導灯まで切った劇場で灯りつける??
何しに来てるん?
前半の遊びが乗りづらいのはお客様があったまらないのもあると思うんだよね。
やっぱ難しい劇場だなと思う。
4日目
休日なので、昼間のお客は若干暖かめです。
しりとりのネタが変わったりとか、映像に細かな補足がついたりとか微妙に変わってます。
初日からだけど、遠山くん(関根さん)のスマホのケースが”学柄”。首に仮面女子タオル、足にも仮面女子サンダル。普段みたい。
人生ゲームはちょいちょい違うネタを入れてます。
雨のシーンの最後のあたりが私としては未消化。理由は、公演が終わってから書きますね。
5日目
夜回のカーテンコールの後
工エェェーな演出。最終回ならまだしも、この回にそれなん?
えぇぇー。なんで?(後で書くね)
あ、謎の言葉。”汝全ての言葉に耳を傾け(略”について、気付きがありました。
あー。そか。
6日目。
楽日。
知り合い(お客)にいつのがよかったかと聞かれたんですよ。
難しいことを聞きやがる。
最後に来てやや軸がブレたところがある気がしています。迷いを感じました。いくつかの型にはまった造形のキャラの別の面をチラ見せしようとするバイアスを感じる。ターニングポイントをわかりやすくしたり。だけど”これでやってみよう”レベルだとぼんやりした印象になる。
うーむ。4日目か、5日目昼くらいかなあ。
関根さんは昼は声を嗄らしておりましたが、夜は復活。すげえ。あそこから戻すか。
昼は、今まで見たことのない席で見ました。今回は上からの飛び降りとかないので、最後列ど真ん中壁際に席があるのね。台詞が聴きやすいし、壁にもたれられるし、全体が見える。これで一段高くなってたら随分良い席なんじゃない?って思いました。
全体のことは、また後で書きます。
5/2
公演終わりまして、もう書いていいので(笑)少しわかるように書きます。
(役名がわかりませんw役名書いてあるパンフとかないからさ。適当でごめん)
実世界が病院、それとなぎさ(姉)が書いた冒険物語を聴いているタイヨーくんの世界が交互に出てくるお話です。
物語はやがて夢となり、後から分かるのですが、モルヒネの投与増加からくる幻覚と相まって、憧れ、運命を切り開こうとする力、周囲の人々、抵抗。みんなないまぜになった世界で、タイヨーくんは闘いながらも死の影に捕らえられてしまう。
自分で考え、自分で切り開け。
だけど誰の前にも死は避けられない。
こどもが死んじゃう話です。泣けて当たり前の話。だからそのこと自体は評価から差っ引いていいと思ってるんだけど
タイヨーくん(大洋でもあり、太陽でもあるか)自身の表情や動きに説得力があり、最後に、おそらく、海にとける太陽を見たのであり、”自身をうつすうつし鏡”のごとくとけるように消えてゆく様子は、本当にいい表情をするなと思って毎回見ていました。
で。で。5日目のソワレ(夜回)からカーテンコール後に、暗転、ベッドから起き上がったタイヨーくんが、母親に抱きしめられるシーンが追加されたのですが、ちょっとどう捉えて良いやら…と思ったまま千穐楽を迎えてしまいました。あれをお母さん(どうやら病魔が迫っていた)も死んじゃったと解釈してる人もいたけど、私は「いつ帰ってくるんだ」「ピラミッドができあがったら」という問答に、でもピラミッドはできあがることはないんだなってしみじみしてたからさ、タイヨーくん起き上がって、えっ?帰ってきた?って、唖然といたしました。
役者挨拶の後に、本を抱えて、力いっぱいバイバイしてはけていくタイヨーくんの余韻のほうが好きだったな。
で、タイヨーくん以外のところは、理屈でわかるという感じで、人と人との関係や、現実と虚とのリンクなど、自然にふわぁとわかるようなものがもっと欲しいかなと思いました。
カラベは、虚の世界の中で暗号を解こうとし、実の世界ではタイヨーに重要なキーを与えていく。虚の世界ではラムセスにさとされ反省し、実の世界では死ぬ間際にちょっといいところを垣間見せたりする、とか、だいぶ左脳が関与して理解する所がある。すっと入ってくる連結ではないですね。
母親やトオヤマは記号的でわざとらしい。そういう役なのか、そういう役者に当たったせいか、わかりませんが、…だいぶ後者な気がしますがw。空元気とかなんとか、それもありだけど、あんまりやると、本当の気持ちがどこなのかわからなくなるね。
公演中に、雨のシーンが未消化と書きました。後で書くと書いたから書いておきます。
そこで語られるなぎさの、弟に対する罪悪感は理解できる。そして、いや、誰のせいでもない雨のようなものなのだ、というその場面の軸になる会話はわかるんです。
でもなぎさの遠山への気持ちはよくわからない。何も知らず自分を褒め上げる彼に対して何を言おうとしたのだろう。
カラベに対する気持ちは”忌避”だと、ここまでで何度か見えている。遠山に対する気持ちは、初めてその名前が出る、誰にそんなことを教えてもらったのか?というところで、「遠山さんが(教えてくれたのね)」というシーンに現れてきますが、最初は「そう、遠山さんが…(そうだったのかという相槌)」だったのが途中から「そう、遠山さんが(苦笑いの呆れ顔?)」になってて、あれ?変えてきたなと思いました。
遠山くんが好きなの?に対しては表情が変わらない。
雨のところ。”遠山さん、わたし…”と言ったまま、長い間(ま)と逡巡がある。そこで普段ならカラベから何か言われるだろうけど、声がしない…と気づくに至るようなこと、を言おうとしていたのでしょうが、隠し事についてはそもそもわかるように描かれていないので、わからん。恋ではないだろう、と、思う。
ここは積まれたものがあって初めてわかるところだと思うんですが、ちょっと材料が足りなくて、時間だけ流れて、最後まで、むー、わからん、なままでした。
あれ?カラベが聴いてるかもしれないよ?ってお客が自分で気づくくらいになったら、すごい、けどね。
結局私はなぎさちゃんのことがわかってないのかなあ。ああいう頃、いじめられて、自分を卑下したり、身近なひとの死に遭ったり、遠い昔にあったけれど、もうずっと記憶の奥底で。
お話や夢の中の芝居がこどもじみているのは、こどもの頭の中だから仕方あるまい。夢ってそうだよね、っていう感じのすり替えが、時々起こるのは面白かったですね。
お話パート、あまり入り込めてなくて、ごめん。人間関係が表面的な感じがして、地下に柩のある部屋は霊安室なんだろな、とか、主に何の二重写しかを考える時間になってました。
うまいバランスだなと思ったのは先生(医師)です。真摯で、ちょっとツボをはずしてていざという時には頼りになりそうな。
お父さんがいないと思われるタイヨーくんに、先生と、カラベさんと、トーヤマ。まあ、先生がいちばんまともな大人で、トーヤマくんが同レベルの味方だったんでしょうねえ。
あ、全公演見ました。
つい、な。
3日目、4日目あたりは芝居の内容の厳しさもあり、夜終わったら本当に身体が苦しいなと思っていました。発散できない演目で居続けはつらいです。だが最後はハイになってた。
ゆめまちで芝居、ライブなどを見るのは6作目(多分)で、その中では最も芝居らしい芝居でしたが、席がレストランスタイルなのは相変わらずなので、どこに陣取るのがいいのか毎日模索して、最終的にトーヤマくんを見るにはここだーって場所で千穐楽は見てました。ちょっと過ごし方を覚えた。
ワシね、小劇場も幕間(まくあい)作って欲しい。特に、ゆめまちって、2時間まじめに前向いて見てるの大変なんですよ。じーっと観てなきゃいけなくて、かつ、こういう転換の多い作品だったら、どこかで休憩入れられないかなあって思います。チェキの予約もそこでできるじゃんね。あの先に予約するシステム、ゆめまち慣れしてないとしくみ分かりづらいよね。
いまの劇場、いまの仕立てであれば、充分以上に観たので、違う形で見たいですね。(2018/5/2)
(2018/5/5 追記:あれはなんだったの?というようなのをぽつぽつ読みます。受け取れる内容は実際に過ごしてきた経験や、さまざまな作品を見たり読んだりしてきたことに左右される。深読み・類推する力にも。だから、おやじやばばあのほうが受け取りやすいこともあるかもしれない。
エジプトの神話に出てくる神々を知っていることや、ピラミッドの中に何故か海の砂があるといったことと、例えば「ウリ」と言われて相場と売春が同時に思い浮かぶかどうか、あるいは、コインランドリーが故障していたと嘘をついて洗濯物を持ち帰るほどの困窮に思い当たるかどうか…ということは興味の方向としては全然シンクロしないかもしれないわけです。それでも両方を思い浮かべるだけの素地があるか。モルヒネは何に使うものか。病院の地下には何がある。百物語の最後のろうそくが消えたら何が起こる…。…そういう諸々の細部の文脈を読めない層がある。多分なんですけど、俳優さんが演出家さんに何の意味かを聞かないとわからないようなことは、まあ、客席には伝わらないわけだよ。
伝わることだけを糸でつないだとき、そのメインルートはどこまで強いか。それがこの芝居の基盤のチカラということになるのではないか。
伝えるための努力をやめない…姿勢はちょこちょこ見えてはいたけど、まだ、もう少し踏み台の石を詰めたかもしれないね。)