kikuyamaru's blog

こちらにはノンジャンルの長文などを書いています。

刀剣乱舞歌舞伎と、松也すごくテレビ出てたよねって話

新作歌舞伎 刀剣乱舞を観てきました

個々の演出などの話は別のブログに長々と描いております。→ 

もうひとつのこぼれ種 新橋に開く双葉 ~刀剣乱舞歌舞伎を観てきました~

kirokubu.daynight.jp

 

で、この先はコンテンツや役のことは書いてないおそれがあります(笑)

ちょっと書いておきたかったことなど。

#作品名が長いんで、以下、とうかぶと略させていただきます。

毎日松也

5月末から6月にかけて、とにかくテレビで松也を見ました。
バラエティでよく見るとはいっても、月に一回あるかないかだったのが、明らかに戦略的に出まくっている。

彼は7月から始まる刀剣乱舞歌舞伎で、初演出(尾上菊之丞との共同演出)と主演を兼ねており、その顔として立ち回っていると思われる。

とはいえ、ここまで毎日テレビで歌舞伎の宣伝をしてる男がいただろうか。

朝の情報番組から、クイズのナレーション、銀座付近で食レポ含む何番組かの街ロケ、自分にスポットの当たる番組、即興劇、原付で遠征、伝統芸能の解説等々。芝居そのものの取材は僅かであり、多くはバラエティそのものに参加して公演情報はちらっと。この大車輪っぷりにはこちらの目が回りました。局を越え、品を変え、ここまで出ないとだめ?と思うくらいの露出量。公演のある日の朝の生放送にまで出てる。

追いかけているほうは同じ話を何度も聞くことになるのだが、SNSを開けば、え、テレビ見たけどとうらぶが歌舞伎になるの?という新しい驚きの声が都度上がっており、あ、みんなまだ知らないんだな。行き渡らせるのって大変と実感する。

5月の歌舞伎座團菊祭の夜の部は、達陀という菊五郎劇団総出演の群舞があり、松也が出るといえば必ず立ち位置は用意されたでしょう。しかし、松也は昼の部の「対面」一本。他はとうかぶの準備の傍らテレビ局やロケに駆け回っていたのではないかしら。

一方で公式ツイッターにとうかぶ情報が流れてくるのはだいぶ遅く、ビジュアル発表から初日一週前に情報が増えてくるまでのほぼ1か月は、公式の呟きは、ぽつんぽつんという頻度。体感、松也の顔のほうがぜったいたくさん見てる。
オンラインゲームが素材の舞台で、メインの拡散媒体がテレビというややレガシーなメディアになってしまい、またこれほどに出してもらえるというのも面白いですが、そこは積み重ねでしょうね。

テレビで観ている松也(や右近)が出ることがとうかぶを観にくるハードルを下げてるのは間違いない。

FFXのときは、何がこんなに歌舞伎初めての人を連れてきたんだろう??、こんなにチケット高いのに?と思い、FFというコンテンツ自体の底力と歌舞伎が融合するあまりにも観たことない作品の力に納得しつつも、私から見ると「勝ちに不思議の勝ちあり」な感覚でしたが、知らないところで価格も情報の出し方も考えられていたのでしょうね。

今回は少し違う。題材ゆえに、家を出て劇場・ライブにくるタイプのファンは多く、その客層が来るだろうと予想できます。
チケットは花形歌舞伎の価格帯です。ベテランの出る歌舞伎より少し安い。最近ミュージカルとか大きな劇場でやる芝居の一万円越えは珍しくなくなっており、FFXのときのさんまんえんに比べると出せる人は多い。
座組は多分狙い撃ちの花形。脇に至るまで、家柄でこの世界にいる人よりは自らの意思でこの世界にいる人を選んだのであろうとみえる座組です。(一部身内人事があるが)
客が来る文脈が古典とは違うので、たぶん客は入る。この座組で人が呼べるという証明にはなるだろうと思いました。

で、もちろん来るには来るんですが、結構な人々が「敷居が高い」という。

(“敷居が高い”警察の方見逃してください。この文脈では、100%、高尚そうに見えて気後れし足を踏み入れにくいの意味で使われています。勢いサンプリングの内容もそうなります。)

他のメディアミックスに足を運ばれた方は、家を出るとか遠征するのハードルは越えてる人たちです。私はそこがいちばんの難所だと思います。茶の間から出られればあと少しなんだよ。
ですが、私も他の伝統芸能は行くの気後れしますし、2.5だって、宝塚だってこわいです。それは心の結界なんだ。
そこは、役者が舞台で芝居を頑張ってもどうにもならない。だって見る前だもの。
最初の誰かが観にきて、複数がコレはイイと言えば後続は来る。
でもその勇気ある最初のお客さんを、引力と背中の一押しで「敷居が高かったけど来た」にしないといけない。
自分が初めてスケートを観に行った「氷艶」を思い出します。あーちゃん(幸四郎)観に行って高橋大輔の写真買って帰ってきたのだ(笑)
実際に「松也さんの本物が見たい」と新橋に来てくれているお客様の呟きを見かけると、ああテレビ出て良かったんだね。と思う。

とうかぶの様式のこと

すっごく用意周到だったFFXに比べるとなかなか情報が出てこなくて、ま、歌舞伎だからなーと、思ってたら、初日の数日前からどどどどどって情報が出て。これは、なんだろうな。検討しすぎて押したのかな、計画かな。
ロケ番組で、お香とか玉鋼とか選ぶときに松也ほんとに迷ってて、右近が説得して現実的な線に落とし込むのを見るにつけ、右近いてよかったなと思う。
(荒川の佐吉でも、髪結新三でもいいから、松也と弟分の右近ってちょっと見たくなってきた)

そんなわけで情報が揃わない最初の頃、巷には憶測が駆けめぐり、ペンライトはアリなのか?団扇はアリなのかという声も上がっていました。
はっ。その可能性(ライブっぽい仕上げ方)もあるのか、と気付き、いや、私の感覚ではそれはないほう寄りだけどまさか?ってちょっと恐々としてました

でも松也が歌舞伎らしい歌舞伎にこだわる理由はあるだろうと思った。

菊之助は、途中で何かぶっ飛んだ企画をやっていても必ず伝統的な歌舞伎の方に戻るのであり、変わったことをやっても一年に一度のハミ出た挑戦と見える。
松也は違う。歌舞伎のほうが年1になりかねない、ドラマや他の舞台のほうが多い現実がある。(望んでそうなってるわけじゃないと思うが)
歌舞伎から逸脱したやり方では、それができてもね…ということになろう。
むしろ、膝下の新橋でやれるこの機会を使って、歌舞伎らしい歌舞伎を作ることが存在証明になるのじゃないか。

とうかぶに呼ばれた役者についてもそうだ
機会が与えられればできるのだということを見せられる場にしたいだろう。
それならば、"歌舞伎役者がストレートプレイをやっているような芝居"ではない方に…と、まあ、半分は願望で考えておりました。

すぺくたくるな演出については、宙乗り、両花道、と夢を広げてたお客さんもいましたが、チケット発売時に座席表を見た限りではそれはなさそうだった。
松也がトークイベントでも古典でいくことを語っていたので、普通でいくんだな、と了解しつつ、どんくらい普通なんだろう?どんくらい難しくいくんだろう?こぢんまりとしないかな?などとそれはそれで気になる。

開けてみれば、時代劇のような平易さである。

外連(けれん)がないかというと、ある。
大掛かりなのはワイヤーアクションくらいだけど、えっ?いつやったの?とか、わっビックリしたということはいっぱいあった(でしょう?)
ある意味外連だらけ。

歌舞伎でいくあまりにすごく渋い作品に仕上がってたらどうしようとちらっと考えましたが、杞憂であった。

歌舞伎の世界に刀剣男士が降り立ったようと書かれていた方がありました。
なるほどそうかもなあって思います。
どの新作も、できることを歌舞伎のメソッドでやっているというのに違いはないのだけど、なにしろ今回のはそのままだからな。姫は姫の格好、殿は殿の格好。古典のまま進む場面が幾つもある。そこにアニメや特撮やそれこそゲームを経由してすこーし現代的になったテイストの名乗りや立回りが入ってくる。そうした2世3世と先祖の共演みたいなとこもありつつ、キャンバスは歌舞伎。

自分は義輝の元に刀剣男士達が初めて現れたとき、なんとなく、世のしがらみとは無縁の旅芸人がふらっと立ち寄ったような風情に見えてました。少し記号として溶け込まないものがあり、それがまたマロウド感になっているのかもしれませんね。

転がるこぼれ種

FFXのとき、菊五郎劇団的なものを感じたというか、あんなに違うにも関わらず、国立劇場の復活狂言豊洲に持っていったようだと感じたんですわ。隼町の種がこんな所に芽を出してる。と。

それが終われば控えているのはとうらぶ歌舞伎です。
初演出となる松也は、菊五郎の元で育ったあと中村屋のやり方も見たし歌舞伎でないものの作り方も沢山見ていて、自主でもモノ作ってて、どう結実すんのかなあ?って興味があったんです。

蓋を開けると、これで歌舞伎じゃないとは言わせん!みたいな舞台に刀剣男士を降り立たさせつつ、古典よりのめり込ませるものができた。
感覚として、これまでの誰のカラーでもない歌舞伎ができたなって感じです。(もちろん松也ひとりの功績ではないのだけど。)

こう書いて気付くのは、松也には継承すべき家の芸がない。継がせる子供も今のところない。
強いて言えば、全体を継承して全体に伝えることが役目かもしれない。
思えば、父上は国立劇場で後進を育てておられた。

最近の新作歌舞伎で見えたのが歌舞伎(or歌舞伎役者)はなんでも扱えるんだよ、何でも歌舞伎にできるよということだったとすると
今回の歌舞伎から見えるのは、歌舞伎そのものが面白いんだよということ。
(これは4月に見た新陰陽師も通ずるものがありました。)

そろそろそのフェーズなんでしょうか。
歌舞伎じゃないもの、歌舞伎そのもの、また歌舞伎じゃないもの、と揺り戻しと前進を続けながら進む世界を客として体感できるのもまた面白いことです。

とりあえず、そろそろ古典だな。本当に。夏が過ぎたら普通の歌舞伎を見る。安心できる歌舞伎が見たい。←むっちゃゆり戻し来てる客

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蛇足

ごく最近、少年社中の「三人どころじゃない吉三」を見ました

(ネタバレあり)

このとき最後列の端っこで、なのに観劇用の眼鏡を忘れた私は劇場近くの量販店で新しい双眼鏡を買ったのである(苦笑)

なかったら沈没であった。寄席にあるような演目のめくりがステージ上にあり字幕となっているのを読まねばならぬからだ。

さておき。

この話は歌舞伎の三人吉三の悲劇の結末を変えようと何度でも挑戦を続ける話で、

見たときはとうらぶ知らんかったのでぼんやりと意識してるんだろうなくらいしか思わなかった。

しかし、先に書いた"歌舞伎の世界に刀剣男士が降り立ったような"で、今更気づきました。これは刀剣乱舞の真裏の姿勢なんだなと。

例えば、勘平が確実に腹を切るように暗躍するよりは、切腹しないようにするにはどうすればいいのかをひたすら考えるほうが前向きに努力できる気がする。

今度は生きる話が見たいね。

「なんとか死なねえ工夫はねえかなあ」(長兵衛)