昨年(2022)の今頃書いていた下書きを公開してないことに気づいたので公開しておきます。
まだトンネルを抜けてない頃の昨年前半の記憶として。
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歌舞伎座の公演が三部制になってだいぶ経つ。
なんとか感染症のせいである。
元々三部構成な8月の納涼歌舞伎を除くと、昼の部、夜の部と分かれていて、各部の途中の幕間(まくあい)に客席でお弁当を食べるのが、歌舞伎座の観劇スタイル。
でも、いまは席で物が食べられないし、演目間で極力役者さんが重複しないように割り振られて、2演目ずつで入れ替えになるという三部構成が一年中になっている。
料理に例えると前は定食かコース4品くらい出てたのが、今は1品にサラダが付いてくるくらいになっている。となると1つだけ頼むならどんな料理?という出し方になる。
その時間に収まりがよいコンパクトな新作であったり、今しか見られない花形が主役のもの、名コンビによる夢の演目再現など、これだけ見ようかなというメニューが続く。結果、なんか、年がら年中俳優祭か異色作か浅草の正月か一世一代祭りかという状況で、気がつくといつもの演目見てなくない?ということになっていたのだった。(まあ、そんなもんばかり選んで見てるともいうけどね。)
ということで、今年何見ましたか?というのを振り返っていきますが、なんで年末じゃなく今かというと、そろそろ飽きたからじゃw
この月だけは国立劇場の菊五郎劇団で明けることにしている。何年かぶりの八犬伝。菊之助の信乃に、松緑の現八。正直今回もあまり思い出せないが立ち回りなどちょっと短くしてたように思う。こー、やっぱ川に落ちてほしくない?
なお菊五郎の道節は流石に覚えてる。浜路、兄の犠牲になってかわいそすぎる。
目下の劇団の問題は菊之助が立役に回るようになって、女房役に釣り合う女形がいないことだと思う。梅枝だとまだ線が弱い気がする。いい立女形がいて、立役の松緑がいて、菊之助が兼ねる役をこなすというやつが見たいな。
あと、松也もどってこーい。
2022.2 歌舞伎座
二部 義経千本桜 渡海屋
仁左衛門一世一代の知盛。歌舞伎でこの言い方をするときは、もう見られないっていう意味。
ええもん見たと言えよう。乳人の孝太郎さんも立派だった。
仁左さんはコロナ禍で芝居が再開されてから自分の当たり役をどんどんぶつけてきており、観る側もひとつひとつを惜しむように覚悟を持って観に来ていると思う。間引いた客席なのに割れんばかりの拍手だった。
三部 鼠小僧次郎吉
前の上演は1993。国立での復活通し狂言で、菊五郎だった。その時の子役は松也。
そうなの。この頃の芝居を色々と浴びている松也は劇団のリズムを知っている。ピースがハマるはずなんだ。戻ってこーいというのはそういうわけ。浅草を卒業したらきっと…と思っている。
脱線したが、今年のやつは途中巳之助が感染で上演中止。その2日前に観に行きました。
これまた約30年ぶりなわけ。すっきりしない所のある話なのと、ええぇ?そんな都合の良い因縁ある?っていう黙阿弥独特のヤツに苦笑してしまう。
しじみ売りの子役は丑之助で、雪の中を丁寧に歩いていた。
2022.3 歌舞伎座
二部 河内山
仁左さん休演で歌六さんが代役でした。滅多にないものを見た感じ。
二部 芝浜
久しぶりに菊五郎劇団の生世話を味わう。ホームに帰ってきた感じだ。見られるときに見ておかねばならない。哀しいけど、近いうちにこれは見られなくなってしまう。
菊五郎はこの手の役には多分一世一代なんて言わないと思う。踊り踊りてあの世まで
2022.4 歌舞伎座
二部 荒川の佐吉
幸四郎の佐吉。
以前に仁左衛門で観た時のやり方が好きだった。というか衝撃を受けた芝居だった。
今回多分少し短くなってると思う。親分の娘さんの印象(酷さ)が結構違う。
右近の演じる佐吉の弟分が際立っていいヤツだった。
あとラスト、仁左さんの佐吉は何年か経ち立派になった佐吉が旅立っていくようだったが、
幸四郎の佐吉は、外からは一目置かれるようになったものの、本人は成長しきっていないように見え、その身の丈に合わない外身を脱ぎ捨てて、最初の、往来に寝っ転がっていた裸一貫の頃に逆戻りしてまた始めるように思えた。若いままの佐吉だった。今しか見られない味かもしれない。