kikuyamaru's blog

こちらにはノンジャンルの長文などを書いています。

どこまでがカレー……歌舞伎か

FFX歌舞伎を見てきた。 席が前過ぎて見えないものも多々あったが(という話についてはこちら http://kirokubu.daynight.jp/kikuyamablog/archives/2422

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SNSを見る限り歌舞伎というより2.5にみえたという人もいる。自分は前編も結構歌舞伎だろう、と思ったけど、もともと歌舞伎と称するいろんな演目を見すぎて若干線引きがあまいきらいはあると思う。

"歌舞伎役者がやればなんでも歌舞伎"というだれかの言葉があるけれど、全員が歌舞伎役者でも、"歌舞伎役者がやる演劇"になっている作品だってある。(それはそれでアリだが。)
あの言葉はどこまでが歌舞伎なのかを決めたがるひとへの便利な説明であって、結果的に歌舞伎になってるのかという感覚とは少し違うかと思う。

もう一個のブログにも書いたが
菊之助(FFX歌舞伎を送り出した)の父、菊五郎は"復活狂言"という形で、何百年ぶりの上演を長年手がけている。
誰も見たことがない演目を使い、一見本流の顔をしたままどこまで好きなようにできるかを問うてきたんではないかと思う。
イリュージョンもあり、見たことのない着ぐるみもあり。
そういえば、俳優祭で再演を重ねる白雪姫を書いたのも菊五郎だったな。
でも菊五郎は一般には逸脱した歌舞伎を作る人とは思われてないだろう。
古典の発掘に取り組む人間国宝ですよというふうに見えている。たぶんね。

それが菊之助の代になると、ボブのかつらを被り、ほら歌舞伎ですけどなにか?ってすましてみせる。
好きなものを真摯に歌舞伎にしています。でも古典は古典で壊さず大切につとめます。菊之助ですから。という雰囲気だ。

菊之助は、ナウシカにしろFFXにしろ古典の手法を使いこなして歌舞伎の様式にすることをとても意識して作ってるように思われる。

役者からなんとなく滲み出るものがあるから即歌舞伎、とはならない。歌舞伎にある共通の認識をはっきり使って歌舞伎にする。
歌舞伎だったらこの場面は何を使うか?何に当てはまるか。
それを場面場面積み重ねて作る。

それを観て客は、歌舞伎っぽいぞ、と思うわけだ。

でも重ねてできた全体が歌舞伎なのかと言われると、さあ?と思う。
歌舞伎っぽい味がだいぶしたけど、これは歌舞伎でいいの?

スープカレーインドカレーも日本のご家庭のカレーもイギリスから来たカレーも、カレーには違いないよな。
でもドライカレーはカレーだろうか。
カレー鍋は……カレーパンは…はっ、これはシチュー等々
…だんだんこじつけ度が上がってきたが、
どこまでがカレーかの線引きを、御曹司皆がじわじわと周到に広げているのが現代の同時代的な動きではないかと思う。
古典は受け継がれたとおりそのままやるものだ。外連(けれん)はよくない。私がテレビや雑誌で歌舞伎に触れ始めた頃はその価値観がまだ息をしていた。
例えば猿之助(先代)は孤軍奮闘と私には見えていた。
年号が二つ変わり、
題材を広く取ることも外連も悪ではない。そういう歌舞伎もあるという実績が増えていく。それは異端ではなくなったどころではなく、毎年、入れ替わり立ち替わりに色んな一座で新作がかかる。舞台が日本ですらないものも増えた。
歌舞伎とは違う劇を作ってみようとしたのが明治や大正で、歌舞伎に現代のわざを取り入れたり、歌舞伎でありながらわかりやすく面白い体験にするのがひと世代前の取り組みだとすると、
歌舞伎でないところに歌舞伎を持ち込むとか、歌舞伎でなんでも表現してしまうというのが今かもしれない。
コミックが原作の映像や舞台は(ベルばらはともかく)昔は原案や原作と全然違うじゃんと思うことも多かったし、そういうものだと思っていた。
だが昨今は"再現度が高い"ことが最たる価値となっているきらいがある。
そうは言ってもその通りにできない所が出てくるのは致し方ない。
ところが歌舞伎が間に入ると、"見立てる"という第三の目が開く。そのままでなくても、歌舞伎にするならこうか。よく再現できてるなどとと言われる。見たままの印象で"これはないわぁー"と言ってる意見が霞むくらいに。
三次元化と歌舞伎という手段との相性に客も気付いたし、作る側もなんでもやれるのでは?という手ごたえを得ていると思う。
嫌な予感もないではない。2.5次元舞台の濫造のような事態に陥らないことを願う。
題材を選び、時間をかけて、役者を選んで丁寧に歌舞伎にしてもらいてえ。
高い金を出してこれかと思う人が多ければ歌舞伎というジャンルへの落胆を生む。それは哀しい。

最近良いと思った「新作」は手塚治虫原作の「新選組」。流行り病のおかげで途中の配役が変わったせいか配信用の映像が用意できなかったのが残念。
花形と新作の相性がよかった。地味ながら再演を待っている。