kikuyamaru's blog

こちらにはノンジャンルの長文などを書いています。

鉄道の記憶を歩いて横濱港へ向かう(2)

「ヨコハマ港の近代土木・鉄道遺産を訪ねる」NHKカルチャー講座について回ったのの続きです。

 まず、おさらい。

桜木町から汽車道を歩いてくると、万国橋のあたりから、鉄道は二手に分かれる。

ひとつは税関の倉庫へ。

ということで、赤レンガ倉庫へ向かいます。

 

赤レンガ倉庫

横浜港で、大型船が直づけできるよう、埠頭、桟橋の整備をすべく埋め立て工事が進められた明治後期。

港に荷物がついたとしても、税関で許可を得ないと国内には持ち込めません。一旦留め置くための倉庫が必要。この保税倉庫が赤レンガ倉庫です。

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赤レンガ倉庫付近敷地内には、今歩いてきた東海道線から繋がる支線の線路の跡がそのまま残っています。

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これをたどっていくと、旧横浜港(よこはまみなと)駅のプラットホームがあります。(上屋は復元)。

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このプラットホームは関東大震災後、昭和3年に設けられたもので、これ以前は列車からタラップで降りていたようです。

この日の同行者のなかに、昔、移民する知人がここから旅立っていったと、思い出を語っていた方がおられました。

 

赤レンガ倉庫のひさしの部分。天井のますがアーチになっています。このような構造は、地下鉄銀座線にも見られるとのこと。

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窓や出入り口の開口部の上もアーチ型になっており重みを支えています。

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レンガの積み方は、敷地内の税関事務所の遺構も、この倉庫も「イギリス積み」。

窓枠の下には黒っぽい焼き過ぎレンガが使われています。強度が高いそうです。

 

四号橋梁

次は枝分かれしたもう一方の線路です。税関前(クイーン)を目指して歩いて行きます。

途中、白い橋があるのが4号橋梁。日本製であるのは前回記載したとおり。

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鉄の産地はカーネギーだそうで、CARNEGIE の刻印があります。 

山下高架橋(山下臨港線プロムナード)

税関の前辺りから山下公園に続く、現在人が通れるようになっている高架橋があります。

山下臨港線プロムナード。↓この高架ね。

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これは山下公園側からみなとみらい方向を向いて撮っています。今回は向こうからこっちへ歩いて来たわけね。

元々1960年代にできた貨物線の線路であり1980年代まで利用されていました。

橋の下から見ると「第1山下高架橋」の銘板が見て取れます。

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横浜港駅と山下埠頭とを繋げた最後の線路。

 

象の鼻地区

このプロムナードの前あたりが象の鼻地区と呼ばれています。
遺構の場所はこの市が造ったパンフのPDFの4ページ目の案内図の所を見てください。

http://www.city.yokohama.lg.jp/kowan/guide/gaiyou/zounohana/pdf/chiku.pdf

 

この地区の整備をするためにほっくりかえしたらいろいろの遺構が出てきたようです。

私の記憶にあるこの地区は、大きな道路から一本入った感じで、

やがてできるという新しい大桟橋の完成予定図を見て、ほー、こんな船をひっくり返したようなものができるんかい、と思っていたことを思い出します。

今は、開けた明るい場所になっています。

ここ(港湾局のWEB)で、かつての施工の状況の定点撮影が見られます。

http://www.city.yokohama.lg.jp/kowan/guide/gaiyou/zounohana/plan-zou/sekou.html

ちょっと面白いから紹介しておきます。

 

2007年12月↓ この細いのが象の鼻の「記憶」

 

 

2009年3月↓

以上2点、港湾局へのリンクです。

 

さて、実物の方の続き。

 

転車台

線路の交差するところにおかれていたターンテーブルです。

この上にトロッコを乗せて、トロッコの向きを変えるだけでなく、隣の線路に行ったりするのに使います。

(線路によって行き先が違うときにポイント切り替えをせずに目的の線路に行ける。)

1個だけむき出しで税関のほうに説明もなく置いてあります。

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他のものは、パンフの4ページの①(まるいち)のようなものが、元の位置にそのままあって、強化ガラスの下に見えるようになっています。

しかし、ガラスの下のものの写真は普通のレンズでは撮りがたいのでごめんなさい。

行って足の下を確かめてくだされ。

 

象の鼻

元は横浜が開港した際(1859)に作られた2つの波止場のうちのひとつで

最初はまっすぐ。1867年頃に曲がった形の防波堤になったそうです。

ここが近代横浜港発祥の地。石積みの防波堤の遺構が見つかりました。

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大桟橋や新港埠頭ができるまでは、ここと沖合の船の間をはしけが行き来して荷やひとを運んでいたそうです。

(大桟橋や埠頭には大きな船が直づけできるので、はしけが要らない)

関東大震災の後、象の鼻的な形状ではなくなり、現在、再び「鼻」になっているのは、開港150周年記念事業で明治中期の形に復元されたものです。

 

ちなみに、3箇所だけから見えると言われていた横浜三塔の、4つめのビュースポットがあります。(注。この写真はほぼ見えない。きっびしー。)

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多分…この地面は人の入るような場所ではなかったのが、Y150で明治のころの形に整備されたことにより見える地点になったのではないかしら??

あと、確かめてないですけど、もう一箇所見えるポイントがあるらしいです。

大桟橋を支えていた螺旋杭

 コスモワールドの脇にあった、大きなさびた杭。

同じもの(実は時期によってちょっと違うらしいですが)が「大さん橋ふ頭ビル」の脇に置かれています。

「人力で海底にねじ込まれたものです」…。前回も書いたけど、人力ってどうやってさ。

 

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玄関脇には、ねじの部分が立っています。

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ここが旅の終点です。
かつては、この先山下埠頭まで線路がありました。

 

おまけ。

 大桟橋

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ついでだから大桟橋にもあがってきました。

例によって曇りで。(安定の曇り女)

みなとみらい側を臨む。
昼間は影の薄いコスモクロックが、夜になると急に存在感を増し、横浜のあの夜景になります。

 

そして三塔のビューポイント。

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だけどね、ここより少し下の方がうまく見えると思うのね。

こんな感じ。この日は船が着いていないから見えました。

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次は、残り2個の赤煉瓦と、日本大通りを一応 押さえたいですね。冬が良さそうです。