ふとんに書類を持ち込んで夜明かしする姿を思い出したことなど
「風立ちぬ」
響かなかった。
ぼんやりしている。
主題歌の曲想が映画と合わなかったな。
歌詞だけだったらいい感じなのに、なんだか合わなかったな。
それくらいの感想しか浮かばなくて。
関東大震災はきっかけ。
いくさは夢のよう。
そういう時代背景は、この映画の中では、知ってた方がいい、くらいの重みにしか思えない。
それを描かなかったことをどうこうは言わない。
そこじゃなかったということなのだろう。
じゃあどこだったのかな。
それがぼんやりしていて。
しかし家に帰って、他の人の感想を読んだりして、少し像を結んできたものがある。
私が思い出したのは
父が山ほどの書類を風呂敷に入れて持ち帰り、布団の中で鉛筆とそろばんで計算していた姿だった。
私も会社のPCを持って帰って夜明かしをする。
家には帰りたい。会社にいたくはない。けど仕事は自分が仕上げなければならない。だから持って帰ってしまう。
たとえば
仕事と私とどっちが大事なの…
「両方」
そう答えて、そう行動するときに、本当に両方選べているのだろうか
二つ予定がある、二つやることがある。
私は結構「両方」やろうとしてしまう。ちょっとでも顔を出して、ちょっとでも箸をつけて。
その重さは本当は同じではないのだ。
けれども片方を捨てられない。欲張りで、八方美人で。
この主人公も両方を果たそうとする。
自分がいなかったら飛行機ができない。でも恋人はいつ死んじゃうか分からない。
抜け出して、でもすぐに職場に戻る。
図面を引きながら、片手を握っていっしょにすごす。
それで、少し果たしたつもりになっている男。
けれど男は、実は女ともうひとつの自分の欲求をてんびんにかけていて、
それに気づいてか気づかずにか、「公〈おおやけ〉」という建前の元に、飛行機の方へ出かけていくのではないか。
そして、女は、美しいままに、夢のように消えてしまう。
もう両方を選ぶ必要はない。
やがて戦〈いくさ〉は終わる。
一緒にいられなかった。生き残ってしまった。飛行機を作った。殺してしまった。
それでも、生きねば、なのだろう。
「生きて」とささやくのは、本当はそれを選びたい自分の心じゃないのかな。
あるいは、そんな得手勝手でも生きさせたかった作り手の心か。