kikuyamaru's blog

こちらにはノンジャンルの長文などを書いています。

ローカルヒーローと、歌舞伎芝居と、型、と

#私は、シュミのブログで地元のヒーローショーについて記事を載せてますが、被っているときの仮面の中味を語ることは、やっぱ冒涜かなと思ってなるべくしないようにしています。ひとつの礼節のつもりで。

#今回はその「約束」に背かねばできない話題であるため、こちらのブログに書いてみました。

 

あるとき、いつもの人が不在のことがありました。

別の人が着てると思われるヒーローが出てきます。

そのとき、もちろん、名乗りや、必殺技のカタチは決まっているわけですが、それ以外のフリーな部分がね、実によく「リスペクト」されてて、をかし、だったの。

以前にそういうことをしていたよね、とか、そうそう、そんな感じだよねっていう。

よくとらえていて、なりきってて、なにかが乗り移ったかのようでしたね ^^;

 

別の日に、いつもの人が戻ってきたショーをみて、ああそうかと思ったのは、

「本人」であれば、その日その日のシチュエーションに応じて、行動が(ありていにいうと「芝居が」)できる。あそこにこんな客がいるから、こんなものが落ちてるから、ああなったり、こうなったりって臨機応変にできる。

以前の自分をなぞる必要はないということ。

 

だけど、他の人がやる場合は、この人のやり方をなぞる必要があったのだ。

それはもしかして「型」が生まれる瞬間じゃないだろうか。

 

歌舞伎の「型」は、所作、衣装、セリフ等々について、踏襲される「やり方」をいいます。

最初はたとえば、N代目だれそれが、あたらしい狂言で、自分のやりたい工夫をしてその役や演目を作り上げるわけですね。

次にやる人は、その人にならってやる。あるいは、それを知っている先輩から、N代目はこういうやり方でしたよと教えてもらってやる。

それが、年月を重ねると、その役に関する「X家の型」になったりする。

 

後の世に生きる我々はそれを「N代目の型」としてしか知らないのですが、

元は、N代目が小屋で日日の芝居の中で自分で考えて役を演じていた姿なわけだ。

「あっ」て。その仕組みが見えた気がしたの。

 

歌舞伎(新作は別として)では、一般に演出家がおらず、主役の役者のやり方を中心に役者達で舞台が作られていきます。

前の月の千穐楽の後から当月の初日の前までの3日ほどで稽古をすませて本番となる。

以前に、バラエティ番組で、たまたま歌舞伎役者が2人で、ちょっとやってみてと言われて、1分に満たない時間で手順を示し合わせて、ツケ打ち(所作に効果音をつける)の人にも指示を出して、ぱっぱと殺陣をやってみせているのを見たことがありますが、そういうもんみたいです。

多分、大衆演劇もそうなんじゃないかな。

 

私は、先ほどの「型」のことを思いついて反芻しているうちに、ああ、このヒーローの現場もそうだな、って思ったの。

シンになる役者さん中心に現場で作られていく芝居。

そして、逆に、歌舞伎芝居の原型的な姿ってこういう大道芸にも似たものだったんだなきっと、と思ったりもしたのです。

 

河原に集まって芝居を待っている民衆と、地べたに座ってショーを待っている私は同じだ。

なるほどね。

よう、千両役者。頑張れヒーロー。