内々への視線しかない稽古場の言葉は
前に、関係者が、これは絶対面白くなる、機会を与えてくれた○○さんに感謝、云々ばっかり書いてる作品は独りよがりフラグだと思ってると書いたことがある。
最近はもっとやばそうなのが回ってきます。
演出からは役者をこう評価しているという人前での言葉。その裏に慕われたいという思いがある。客からじゃなく、役者から。
役者からはだれそれさんに応えたい、認められたいという視点の言葉が飛び交う。
そこには内側から内側への視線しかない。お客も読んでるSNSで、内部のパワーバランスの調整を延々とやってるようにみえる。
あるいはスポーツのコーチや監督と選手たちの内々のようだ。
役者を育てたい表に出したい等々の話もあるが、要は自分の巣の雛のことしか言ってない。
そのやりとりが外に見えてしまってることなど瑣末なことというか、客はあまり目に入ってないんだろうなと思う。
しかし最後は客と対峙しなければ完成しないのが芝居。
そういう場所で作った作品から、客席にどのくらいベクトルが向かってくるものか?
結果は舞台で見せてもらおうと思います。
私は、できた芝居から得る経験に金を払うのであって、雛の育成費用をだしてあげてるのではないつもりだ。