kikuyamaru's blog

こちらにはノンジャンルの長文などを書いています。

もり子となが子(牛乳工場の牛のオブジェの話)

昭和の末ころの話になります。私の住んでいた街に、牛乳工場がございまして、工場の前には牛が2頭……。本物ではなくて、オブジェなのですが、あまり大きくはない、子供と並ぶのにちょうど良いくらいのホルスタインが2頭おりました。

首から名札を提げていまして、1頭は「もり子」、1頭は「なが子」。

当時は森永の工場ではないけれども、森永のブランドの牛乳を出荷している工場でした。

給食はここの牛乳でしたし、夏休みに部活が終わると、工場からの差し入れのジュースがあってみんなで飲んだりしてお世話になりました。

現在は新しい工場ができたので閉鎖され、宅地になっています。

月日は流れて、2000年頃のこと。信州に旅行に行ったことがあります。

善光寺参り。そこに、なんと、居たのでございます。牛のオブジェが2頭。ホルスタイン

その名は「善子さん」と「光子さん」。よみがえる記憶。これは、絶対あの牛の親戚である。ネーミングセンス一緒だもん。

案の定、森永乳業からの寄贈で乳牛親子像というらしいです。*1

更に月日が流れて、それも忘れ去っておりましたが、先ほど年賀状を書くために牛の画像を検索していたら、工場の前に、牛の親子像が。これは…もり子となが子?
気になって「乳業」「工場」で画像検索したら、全国の工場にいるいる。
(ちなみに「牛乳工場」で検索すると中の機械の画像がたくさん出てくる。乳業と工場だと工場の全景が出てくる。ちょっとした差の妙。)

しかし、名札がない。どうなのか?これはみんな"もり子"なのか?名前を気にしてたのは、あの工場と善光寺だけなのか。

ということで、各工場の牛の名前、気になっております。

ところで、かつて"もり子"と"なが子"がいた、閉鎖された工場の事業を受け継いだ新工場をGoogleの航空写真で見ると、親子の牛が2組いました。新しい工場に連れて行ってもらえたんならいいな。

 

*1:

渋沢社史データベース  『森永乳業五十年史』
昭和40年(1965年)9月18日に「長野県善光寺へ乳牛の親子像寄贈」の記載。

https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=1510&query=&class=&d=all&page=137

ファーマーズアイ 2007 夏 vol.293
P20 に「現在、善光寺の本道の脇に置かれている乳牛親子像は、1965 年に 松本工場の発案により森永乳業から 寄贈されたものです。」
写真キャプションに「乳牛親子像は1991年に更新された2代目。」との記載。

https://www.mo-rakunouhanbai.com/assets/fe_293.pdf