美しいということばと社会貢献と
ビューティージャパンというコンテストで、りこちゃんがすごい受賞をしました。したいひゃー。まずはおめでとうございます。
美しく社会貢献する女性、を評価するプログラムです。
やるべきことは社会貢献なのですが、「よきひと」ではなく、「うつくしき女性」に帰結させるところに、この賞の価値観があらわれている、と、私は感じます。
コンセプトを読みましたが、女の人の生き方、進み方の評価を「美しい」ということばにこじつけなくてもいいだろって思う。思うけども、そう言うならそうなんだろうなこの賞の中ではなという感じ。
要項を見ると、女性としての特性、精神、肉体、品位も求められる。スペックに制限はないけどこの辺は必要なわけですね。
「美しい」について生涯かけて考えてるひとが、美しいの条件として社会との向き合い方や、女性の特性を備えた在り方が要るでしょ、それは型どおりのスペックじゃないでしょ、って考えた賞なんだろうなあって思います。
社会貢献している人全般の評価を美しいという言葉で括るのは違和感がある。
ひとの、セカイ(よのなか)との繋がり方は色々あり、女性性/男性性や、視覚からの情報を遮断して、関係ない形で繋がることだってでき、そういう形でのプロとして社会貢献してる人も勿論います。
今回のファイナリストの中でも、その道のプロとしてのマインドやスキルと、姿の美しさやら女性としての特性は関係なさそうな分野が見受けられて、そういう人は自分のプロ性とは関係ないとこで、見栄えのための訓練もしなきゃいけないのかなあ。大変だなあって思ったりする。
となると、姿かたちが直結するような仕事を通じての社会貢献というのが、このコンテストのベクトルとはマッチするのかもしれませんね。
賞を受けたということは、賞の意図を正しく理解し、活動や考えをそこに合致するように表現できたということでしょうし、互いの活動の方向性とも合っているということでしょう。
そこには”時の合”がある。よき後押しになることでしょう。